2010年09月18日

宣告

今回は重い話です。

父親が入退院を繰り返していることは、これまでもここに書いてきました。
元々の病名は『胆管細胞癌』というもので、癌としては非常にたちの悪い種類です。
ネットで調べてみても、5年後生存率はかなり低く、予後は不良とされています。

ただ、4年前に別の検査で偶然発見された時は癌自体は非常に小さく、手術で綺麗に取ることが期待できましたし、実際手術はうまくいきました。
しかし2年後に肝臓への再発により再手術。
そして去年、胸骨への転移が見つかりました。
この時の手術はかなり大変で、胸骨の病巣部を取り除き、骨の代わりに樹脂を入れるというもので、その後の自発呼吸復帰までは数日ICUに入りっきりでした。

この手術で体力は大きく失ったものの一時は回復の望みも見えたのですが、昨年の末頃の血液検査で腫瘍マーカーが増大。
その後は抗がん剤治療を続けていました。
私が実家に帰って来てからも通院治療は継続していましたが、だんだんと抗がん剤でも抑えきれない状態になり、7月ぐらいからは胸水が溜まり始め、その為に何度か処置入院をしました。

状況が一気に悪化したのはお盆明けでした。
ちょうど私が就活の一環で九州へ行ったその日に、病院での胸水を抜く治療中に急変。
担当医の話ではかなり危険な状態になったらしく、私も東京の兄も急遽病院に駆けつけました。
その時は、幸い一時の危険状態からは脱しましたが、もはや病状の進行を止めることは不可能だと言われ、そのまま入院。
もう、この時から家に帰ることは出来ない状態となったのです。

本人も自分の身体ですから状況は良く分かっており、そもそもこうなる前から相当の覚悟はしていました。
その後、本人の希望で緩和ケア病棟のある病院に転院。
もはや、私がしてあげられるのはそれぐらいでした。

転院したのは先々週の月曜日。
その後、徐々に体力が低下していくのが目に見えて分かります。
ここ数日は特に意識レベルの低下が激しく、とうとう一昨日、担当の先生から「もう2週間は厳しいでしょう」と。
「もう、いつ何があってもおかしくありません」と。

今日、面会に行った時、ちょうど昼食を摂っていたんですが、もう自分でハシを持つ力もないんですよ。
お椀を持つ手もおぼつかず、食べようとしてもこぼしてしまう。
呼吸は苦しそうで、時折、失神したような状態になる。
そして、その後はベッドに横になって寝るだけ。

私は自分でも意識するぐらい、非常にドライな死生観を持っています。
人の死は、その本人だけにしか分からない。
周囲の人間がいくら悲しもうが、同情しようが、郷愁を感じようが、そんなものはたいして価値はないと思っているぐらいです。
自分の死を、本人がどう受け止めるか。
それだけが重要なのだと。

父親のことにしても、私は出来うる限りのことはしたし、あとは本人がどう感じているか次第だと思っています。
「悔しい」と思えば悔しいのだろう。
「満足した」と思えば満足しているのだろう。
死にゆく者の気持ちは、結局は本人にしか分からない。

そんな感覚を持っている私でも、やはり実の父親の弱々しい姿を目前で見るのはつらいものです。
親不孝の次男がやっと独立し、「さぁこれから自由気ままな老後を」と思っていた矢先に、パートナーの認知症、そして自身の病気。
色々と思い残すことはあるだろうなぁと。
さぞかし運がなかったと思っているだろうなぁと。

もう残された時間はありません。
死に向かう父親の姿を目に焼き付け、今度は私自身の人生をこれからどうやって立て直すか。
その糧にしていこうと思います。
posted by Kei at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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