2009年10月25日

時を制す者が戦いを制す

皆誰でも、自分の仕事とか日常生活には指針を持っていると思う。
私の場合は、それは時計である。
特に仕事の場合、腕時計を元に全ての行動を組み立てるクセがついている。
したがって、仕事中は常に腕時計をしているし、時間もできるだけ正確に合わせる様にしている。
腕時計をはめる=スイッチ・オンというわけだ。

昨今は、そこかしこに時計が存在しているし、無理に腕時計をしなくても困ることは少なくなった。
パソコンの画面を見れば時計があり、携帯電話を開けば時計があり、車に乗れば時計があり、である。

しかし腕時計という物は、常に身にあり、また持ち主がその状態を把握していることに意味がある。
この、自分の身体と一体となった機械は、単に時を刻むことしか能がないが、その存在の全てで持ち主へ時刻を伝えることに勤しんでいる。
パソコンの時計が5分進んでいようが、車の時計が10分遅れていようが関係無く、持ち主は、時に能動的に、時に受動的に、その腕にある時計とコミュニケーションをとりながら時刻を把握できる。

この受動的という部分が、実はとても重要だと思う。
腕時計をしていると、時刻を認知する頻度が増える。
それにより、行動のペース配分や次の行動への段取りなどが無意識のうちにできる。
携帯電話ではこうはいかない。
余程意識して「今何時?」と思わなければ、わざわざ開いて時間を見ることはないだろう。
その時点で既にワンテンポ遅れている可能性もある。

私はよく、腕時計をしていない人に対して「なんでしてないんですか?」と尋ねることがあるのだが、決まって答えは「携帯もあるし、いらない」である。
それは個人の考えだから別に良い。
でもね、そういう人に限って、しょっちゅう「今何時?」って聞くのよね…。
別に時間を教えるぐらいはどうってことないが、いい大人なんだから時間ぐらい自分自身で把握して欲しい。
と思う私は心が狭いのだろうか。
posted by Kei at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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